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このwebページの名前の98式(1998年に開設した[ 98式試製 Shima_net Web ] の事)と同じ名前がついている物の中から、日本軍の兵器で昭和13年度(皇紀2598年/西暦1938年)に制定された主な物をご紹介します。
この年度の前後の兵器は有名なものが多い。
この様に凄く有名で活躍した兵器があるのに比べ、98式の物は地味なのが多いが、中にはキラリと光る?兵器もあります。97式中戦車、97式軽装甲車、 97式戦闘機、97式重爆撃機、 97式艦上攻撃機、97式飛行艇、 他多数
99式歩兵銃、99式軽機関銃、99式双軽爆撃機、99式襲撃機/軍偵察機、 99式8センチ高射砲、 99式艦上爆撃機、99式20mm固定機銃シリーズ、 他多数
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昭和13年設計/14年試作(製作は日野自動車)の軽戦車。「ケニ」とは、軽戦車の「ケ」と4番目の計画の「ニ」(イロハニの順)と云う意味の略称。九五式軽戦車(ハ号:三菱重工)や九七式軽装甲車(テケ:池貝自動車)と同様に軽量型の機動戦車である。
この戦車の特徴は、発動機を横置きにして車高の低い小型の車体に出来た事であった。ハ号車と比べて寸法重量とも少々小型なのに、最大装甲厚は16mmで逆に4mm増加している。又、懸架装置(バネ等)を車体内部に設置したり、対小銃弾耐性を考慮した曲面(避弾経始)の装甲を多用した事により防護上にも有利な構造になった。
発動機は統制型一〇〇式直列6気筒空冷ディーゼルエンジン130馬力を搭載し、走行最大速度は50km/hと十分な機動力(出力対重量比18hp/t)を発揮した。
武装は日本の戦車として初めて主砲と同軸(双連)に九七式車載重機関銃(口径7.7mm機銃 92式実包 箱弾倉20発)を装備した一〇〇式三十七粍戦車砲(46口径37mm砲 初速700m/s)で、主砲自体も従来の九四式三十七粍戦車砲(36口径37mm砲 初速570m/s)や九八式三十七粍戦車砲(36口径37mm砲 初速670m/s)※より威力が勝っていた。
砲塔は避弾径始を考慮した円錐形で内部は少々狭い(後の二式軽戦車では円筒形に改善される)が、車長と砲手の二人用になった事で操砲や敵情視察などの戦闘動作が容易になり、一人用砲塔のハ号車などより総合的な戦闘力が向上したと思われる。
尚、主砲の開発は昭和16年頃まで続き、完成車の生産は昭和17年からで、翌18年頃までの間に113両程度が製造された。
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九八式軽戦車の主砲である46口径37mm戦車砲は、開発に手間取った割には従来から歩兵部隊が装備した速射砲(対戦車砲)の九四式三十七粍砲(46口径37mm砲 初速700m/s)と同等の能力しか無く、しかも諸外国の平均的な50口径37mm砲(初速800m/s級)の戦車砲や対戦車砲よりも威力が劣っており、さらに車体装甲厚は諸外国平均の半分にも満たない程度の為、米英ソの軽戦車級を相手にするとしても一両単独で立ち向かう事は困難だったと思われる。
(諸外国の37mm砲の平均的な威力(初速800m/s級)と同等の一式三十七粍砲(50口径37mm砲 初速800m/s)及び一式三十七粍戦車砲(46口径37mm砲 初速780m/s)の開発が完了したのは、昭和18年の後半である。この頃には37mm砲では対戦車火器としての威力が不充分になってきていた。)
この戦車は小型軽量と云う利点を生かして、滑空機(グライダー)に搭載して空挺戦車として利用する計画などもあったが、結局は日本国内(内地)のみの配備で終戦を迎え、実戦には使用されなかった。(GROUND POWER 1996/11号(デルタ出版) 九八式軽戦車の頁には、ケニ車とク7IIの大きな尾翼部分(実物大模型?)とが一緒に撮影されている写真が掲載されています。ご参考まで。)
(使用予定のク7II輸送滑空機「真鶴(まなづる)」は、搭載量7トン/全備重量12トンの大型機で、この機体を曳航するには2千馬力級双発の一〇〇式重爆3型「呑龍」や四式重爆「飛龍」などの大出力曳航機が必要の為に、昭和19年に試作機が一機のみ製作されただけに終わった。尚、この機体に940馬力発動機を2基搭載したキ105輸送機「鵬(おおとり)」が生産される事になったが、発動機関係の重量が増える事により搭載量は4トン以下に減少し、軽戦車は搭載不能になった。)
この戦車の生産が開始される頃には高性能47mm砲の生産が開始されていて、これを装備する新型軽戦車の開発も始まったが、時は既に遅く試作車(試製五式軽戦車)は昭和20年になって完成した。昭和12〜13年には47mm砲(高射/速射/戦車砲)の計画/開発が始まっていたのだから、開発方針次第では昭和17年には47mm砲搭載軽戦車の生産を開始できたものと思われる。車体性能には余裕があるのでこの選択が為されなかった事が非常に惜しまれます。(因みに米軍は、ケニ車は47mm砲を装備すると想定していた様だ。)
しかし、遅くとも昭和15年中頃までにケニ車の生産が開始されていれば、陸軍中央部の「軽量で軽快な戦車を大量に安価で装備したい」(質より量を:海軍の大艦巨砲の少数精鋭主義とは正反対の構想)と云う理想に一番近く、尚且つ機能的にもバランスの採れた戦車なので、質より量という観点から見ると中途半端なハ号車やチハ車(九七式中戦車)に替わって日本陸軍の戦車の代名詞になる様になった可能性も十分に考えられます。
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八九式十二糎七高角砲の後継として開発された長砲身10cm高角砲。12.7cm砲と比べ弾丸の威力は少々劣るが、発射速度の増大による射弾密度の向上と高初速による命中精度の向上で、高射砲としての威力が大幅に増大した。
九八式十糎高角砲は169門程度が生産され、秋月型駆逐艦、巡洋艦大淀、空母大鳳などに装備された。
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※ 弾薬筒の重量は、弾丸(炸薬等含む)/装薬/薬莢等を全て含む完全弾薬筒の重量。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
※ 砲の名称は、高角砲は海軍、高射砲は陸軍、で運用法は同じ対空砲です。 |
この高角砲の性能は非常に優れていて、九八式十糎高角砲1門は八九式十二糎七高角砲2門に相当するとまで言われたが、製造コストが高かった為に大量生産する事は出来なかった。
本来ならば戦局の状況から、この砲を大量生産して海防艦などの護衛艦に装備されなければならなかったが、現実には製造が簡易で自動装弾機も無い旧式の十年式十二糎高角砲が大量生産(2千門以上)されて、海防艦などに装備される事になる。
(この為、米軍パイロットによれば、日本の輸送船団によっては対空射撃が緩慢に見える様な事も有ったと云う。)
しかし、優秀な砲を装備できたとしても、これらを指揮する高射装置の射撃盤(算定具)などの製造はさらに困難であった。
秋月型駆逐艦では高精度の九四式高射装置を2基装備していたが、複雑な装置の生産が間に合わなくなると1基だけの装備に変更されてしまう。既に2基搭載してあった駆逐艦は、わざわざ1基を取外して他の艦に転用された。(尚、海防艦などは精度の低い簡易型が装備された。)
この為、折角の優秀砲も有効に使用する事は難しかった。レーダー射撃とかVT(近接作動)信管とか云うレベル以前の問題であった。目標を発見して攻撃可能でも、正確に砲を目標の未来位置に向けて、弾丸を目標付近に発射させられなければ意味が無いのだから。
(気合と根性と精神力をもってすれば、算定具などカバー可能???)
※ 射撃盤:目標の未来位置に砲を指向させ弾丸の時限信管の時節を調整する機器。
諸元(目標や砲の位置などのデータ)を装定(設定)する自動又は手動ハンドル(転把)、諸元を発信/受信(入出力)する交流モーター(セルシン回路)などや諸元を指示する電位差計(電圧メーター)などの諸元伝送電気回路、これらの諸元を処理(修正量を算出)する機械的歯車式計算機で構成される算定具。
(一種のコンピュータシステムで、アナログ電子式より前の機械電気併用式。)
艦船の場合は自船も移動/動揺しているから、これらの諸元も設定/計算しなくてはならない為に非常に複雑だった。
(資料が少ない為に、陸軍用語と海軍用語が混ざっております。)
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九八式十糎高角砲を小型化した長砲身8cm高角砲。従来の三年式八糎高角砲と比べると格段に能力が向上した。
しかし九八式八糎高角砲は、割高な製造コストに比べて高射砲としての威力が絶対的に優位と云う訳ではなかったので、僅か28門程度しか生産されず、阿賀野型巡洋艦に装備された他は、軽空母伊吹に搭載が予定されている程度であった。
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※ 弾薬筒の重量は、弾丸(炸薬等含む)/装薬/薬莢等を全て含む完全弾薬筒の重量。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
※ 砲の名称は、高角砲は海軍、高射砲は陸軍、で運用法は同じ対空砲です。 |
この砲や九八式十糎高角砲※の性能諸元表を見て気が付く事は、陸軍と海軍がほぼ同じ時期に同じ様な高射砲を開発している事が判ります。
九八式八糎高角砲と四式七糎半高射砲、九八式十糎高角砲と試製十糎半陣地高射砲などは同一仕様と言っても問題無いかもしれません。しかし口径は 76.2mm/75mm と 100mm/105mm と云う様に全く互換性が有りません。
陸軍の三式十二糎高射砲は海軍の技術協力により完成しましたが、同じ時期に海軍は同等性能の5式12.7cm高角砲を開発しています。
この様な事は航空機開発などでも同様ですが、
「おまえら、そんなにお互いの事が嫌いか?」
とでも、言いたくもなります。
海軍にとってはこの75mm級高射砲は余り興味が無かったかもしれませんが、陸軍は75mm級高射砲を重要視していました。
陸上と海上では運用方法が異なる事は理解できますが、砲身等は共通して使用できる可能性は十分に有り得ます。
競争試作とかでどちらかを共通で採用するのならまだしも、情報交換や技術交流も活用されず別々に開発/採用するのでは、正にお役所官僚的構造の見本としか言い様が有りません。
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高度2,000m以下の航空機に対し有効な威力を発揮する最小限の口径と考えられた20mmの高射機関砲。対戦車戦闘などの地上戦にも使用できるように考慮されていた。
運搬様式は、車載(自動貨車や装軌車等に積載)、輓曳(接続砲車を使用して牽引)、駄載(分解搬送)などが可能で機動性を重視していた。
昭和16年頃から本格的に装備され、終戦まで野戦用の高射機関砲の主力として約2,600門が生産された。
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20mmと云う口径は、少しでも砲を軽く出来て野戦機動するには良かったが、高射機関砲としては有効直線射程距離が約1,000m程度と短くて効果的な対空射撃は困難だった。当然、対戦車戦闘能力も低かった。(装甲貫徹力500mで20mm程度?)
この為、船舶砲兵などでは、この機関砲は非常に評価が低く海軍の25mm機銃が装備されるようになった。(逆に高射砲は、海軍の高角砲よりも陸軍の高射砲の方が評価が高かった様だ。)
この機関砲の発展型として、二式多連二十粍高射機関砲が開発された。
これは九八式高射機関砲をハンドル操作の砲塔構造にして15発弾倉としたケキ砲(二式二十粍高射機関砲)と呼ばれる6門の機関砲を、1台の指揮具で照準操作する構成の対空射撃システムであった。
指揮具などは数門の砲を指揮できる海軍の高射装置を発展させた物で、砲/指揮具/発電車などはケーブルで接続され、算定された目標の未来位置に向けて、電力操作で全自動的に各砲の方向高低撃発操作を可能にした遠隔操縦機構(リモートコントロールシステム)になっていた。
又、単装のケキ砲を双連構造にしたソキ砲(二式双連二十粍高射機関砲)も開発された。尚、これらのシステム構成機器(砲/指揮具/発電車など)は全て自動車で牽引可能だった。
しかしこの様なシステムは、製造費用も高く技術的にも製造困難だった為に、数セット分の16門程度しか生産されなかった。
この他に、単装又は双連の対空戦車(自走砲)が試作され、陣地や船舶用として操作を容易にした基筒型の四式基筒双連二十粍高射機関砲なども作られた。
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工兵が使用する遮蔽物除去用の近距離射程の投擲器材。重量22.4kgの迫撃砲構造で、砲身(筒身)は射角40度で固定式の直径5cmの滑腔式。射距離の設定は放射薬の量で調整する。投擲用の弾は次の2種類の他に投擲発煙筒など。
投擲爆裂缶(柄付き爆薬)は全長0.7m/重さ6.4kg(炸薬2.4kg)で、敵陣地の制圧に使用する。信管は無く導火線(緩燃導火索)に引火して飛んで行く遅延伝火式。射程は90m〜410m。
羽付破壊筒(羽根付き爆薬)は全長2m/重さ8.5kg(炸薬2.25kg)で、攻撃目標により信管を瞬発(鉄条網の破壊)又は延期(軽掩蔽部等の破壊)に切換える事が出来るニ動信管を使用した。射程は90m〜290m。
この戦闘用器材は、敵の鉄条網を突破する為に3人の工兵が爆薬筒もろとも自爆した悲劇(上海事変の肉弾3勇士)などの、最前線の敵陣地突破においての損害/犠牲を減らす為に装備された。
光人社刊行の「闘魂ビルマ戦記」の一節に、この投擲機らしい兵器が出てくるが、点火装置の一部が無くて弾を発射できなかったと云う少々間の抜けた話が載っている。
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九四式三十七粍戦車砲の薬室を拡大改修して、九四式三十七粍砲用の九四式三十七粍砲弾薬筒を使用できるようにした戦車砲。装薬が増えた事により初速が増して威力が増大した。又、弾薬筒を共通して使用できる事により補給の面でも改善された。
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※ 弾薬筒の重量は、弾丸(炸薬等含む)/装薬/薬莢等を全て含む完全弾薬筒の重量。 |
九八式三十七粍戦車砲(36口径37mm砲 初速670m/s)の原型である九四式三十七粍戦車砲(36口径37mm砲 初速570m/s)の開発の時点で、九四式三十七粍砲(歩兵用の速射砲(対戦車砲) 46口径37mm砲 初速700m/s 完成当初は有力なレベル)の砲身等を共通に使用するように製造していれば、37mm戦車砲級の再三に及ぶ改良改修をしなくて済み、尚且つ戦車砲の威力不足にもそれほど悩まずに済んだと思われる。当時の戦車の搭載容量(砲の後座長等)の制限なのか、技術的に無理だったのか、はたまた行政(官僚)的な問題だったのかは不明なのだが、非常に残念な事である。
尚、大戦初期の頃に距離1000m程度でのM3軽戦車(最大装甲厚38mm 50口径37mm砲 初速780m/s 装甲貫徹力500mで50mm)との戦闘では、九五式軽戦車(最大装甲厚12mm 36口径37mm砲 初速570m/s 装甲貫徹力500mで25mm)の砲弾が命中してもことごとく跳ね返されてしまった。逆に敵弾が命中すれば確実に貫通して破壊炎上させる事が出来た。さらに九四式三十七粍砲(歩兵用の速射砲(対戦車砲) 46口径37mm砲 初速700m/s 装甲貫徹力1000mで20mm)でも、射距離を100m程度にまで引寄せなければM3軽戦車の装甲を破貫する事が出来ず、確実に貫通して破壊炎上させる事は非常に困難だった様だ。
しかし命中弾で敵戦車の装甲を破り破壊炎上させなくても、履帯(キャタピラ)等の懸架装置を破壊したり、命中弾の衝撃で戦車内部の機器を破損や故障させたり乗員をパニックに陥らせたりすれば、敵戦車の機動力や戦闘力を奪い擱坐させる事が出来るので、非力な砲弾でも短時間に命中弾を集中させればそれなりの効果はあった。
※ 装甲貫徹力は砲弾が直角に防弾鋼板に命中した場合の参考値。現実の戦闘では砲弾が直角に命中する事は稀なので実効能力は半分以下程度にまで減少する。又、初速が同じ程度の場合では、弾丸重量の重い弾薬を使用している方がより貫徹威力がある。尚、貫徹できなくても同じ装甲板に多弾数の命中弾を与えれば装甲が裂けて破る事も出来た。
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掩体や車両内部等の密閉空間での射撃/坑道爆破作業での防護用として、九五式防毒面に取付ける一酸化炭素対応ガス吸収缶(特一号)。青酸ガス対応の特二号もある。
防毒面用のガス吸収缶の能力(有効なガスの種類や寿命等)は重要な軍事機密。
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