PC使用経歴


作者のPC使用経歴作者のポケコン使用経歴

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開設 1998年09月20日 更新 1999年07月11日



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作者のPC使用経歴 (1998/08/30 現在)
小学生

中学生
NEC PC−6001ナイコン
SHARP MZ−80K2Eナイコン
SHARP MZ−2000ナイコン
SHARP パソコンテレビ X1(元祖)ナイコン
中学生

高校生
MSX学校使用
SHARP MZ−731初代
富士通 FM−16β学校使用
SHARP パソコンテレビ X1Ck2代目
高校卒

現在
EPSON PC−386BookL3代目
DOS/Vマシン 他職場使用
NEC PC−9801NV4代目
現在
PackardBell PBシリーズ(DOS/V機)5代目


小学生 〜 中学生 の頃
 この頃は、家電メーカー各社やゲーム機(玩具)メーカー各社が、それぞれ独自のパソコン(マイコン)を多数発売していた。
 この為、メーカー間のソフトウェアの互換性は非常に低く、同一メーカーでも販売事業部が違うと互換性が無い場合もあった。又、上位機種やモデルチェンジすると下位互換性をサポートしていない場合も多くあった。
 しかし、使用するCPUやOSに相当するシステムソフトもまちまちであった為、現在のショップブランドDOS/V機以上に個性やスペックの違いが有り面白かった。
(当時は既にマイクロソフト社がBASICシステムソフトを一部の国内メーカーに供給していたが、ハードウェアのスペックが余りにも違うため、同一メーカーでもBASICのソフトですら動作しない場合があった。)

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NEC PC−6001
 小学校5年生の頃、同級生達がPCの雑誌を持ってきたのを見たのが、PCにはまる第一歩となる。
そのPCの話題の中心がパピコンなるPC-6001だった。
 カラー表示が使用できメモリ容量もまあまあ有って、当時の家庭用に使用する必要な機能が十分に揃っていた。
(細かいスペック等は忘れてしまった。ごめんなさい。資料は実家の押入れの奥に有ると思うので、そのうち掲載したいと思います。)
 初めて実物を見たのは、デパートの本屋の特別展示であった(ような気がする)。当時は電気屋の他に時計屋等でもカシオのFP-1100(だったかな?)や元祖PC-9801等が置いて有ったのを覚えている。
(カシオのPCは今(?)のポケコンシリーズの様に、ファンクションキーで実行するプログラムを切り替えられる機能が有った。その他にもスペック的に良く出来たPCだった様な気がする。)
このPCを買った友人や展示してある店に通いプログラムを入れて遊んだりした。(いわゆる[ナイコン族]であった。)

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シャープ MZ−80K2E
 実家の近所のタマデンという現在はつぶれてしまった?大きな電気屋に展示してあった。
 この頃のシャープ以外のメーカーは、各社独自のBASICをROMに内蔵していて、電源を入れるとBASICインタプリタがすぐに起動するシステムを採用していた。
ところがこのPCは、電源を入れるとカセットデッキをコントロール(と言ってもLOAD( L [ENTER] )のみで、デッキ自体は押し下げボタン式)するのがメインの簡単なモニタプログラムが起動するマシンだった。
つまり、現在のDOS/VマシンやMacに近い構造だった。(どちらかと言うとこの方がコンピュータとしての基本型。)
しかし、当時の主力外部記録装置はカセットテープ(以下:CT)だったので、BASICインタプリタ等のシステムプログラムを読み込むのに非常に時間がかかった。この為、他メーカーはROMにシステムプログラムを記録していた。
(このPCは、CTの読み書きの速度は標準的な1200ボーだった。BASICインタプリタの読込に2,3分かかったような気がする。もし超暇な人ならば、モデムを1200bpsの設定で20Kbyteのファイルを転送してみれば体感できます。)
シャープはこの構造をクリーンコンピュータと称しROMの換わりにRAMを多めに載せていた。
また、ケースは本体(カセットデッキ付)とモノクロモニタとキーボードの一体型で、オールインワン設計と称していた。(もしかしたらiMacよりもシンプル?)
スペック CPU:Z80A(4MHz?) ROM:4Kbyte? RAM:48Kbyte(32Kbyte?) TEXT:40x25 グラフィック:擬似キャラクタによる80x50ドット 表示色:2色 (1bit つまりモノクロのみ)
(記憶が定かでなく申し訳ありません。)
 キーボードは、ファンクションキーの無い横長の長方形の碁盤の目状にきれいに揃っている配列をしているため、慣れるまでキー入力が大変だった。
テンキーに相当する部分はグラフィックキャラクタの入力用になっていた。カーソルキーは2つしか無いため、左右の移動は問題無いが上下の時はshiftキーを押しながらカーソルキーを押さなくてはいけなかった為、ゲームをする時にカーソルキーは移動キーの指定を出来ないような状態であった。
 初期バージョンのBASICインタプリタでは、BASICコマンドで画面出力のカーソル位置の指定が出来なかった。この為、←→↑↓やHomeやclear等の専用キャラクタ文字で表示位置を変更できる変わった方法を持っていた。
(例:[ (反転したC→→→→→↓↓)MZ ]は、画面クリアして現在位置から右へ5,下へ2キャラクタ移動して[MZ]を表示の意味。また指定コマンドが無くとも、直接VRAMに記入する事で解決できる場合もあった。他の機種でキャラクタ文字で表示位置を変える時はアスキーコードで設定した。)

 しかし、このマシン(クリーンコンピュータ)の最大の特徴は、バッチプログラムを当てる事でシステムプログラムを改善できたりアップグレードできる事がもっとも便利な事だった。
今の目で見れば当たり前の事だが、当時ROMにシステムソフトがあるPCでは修正パッチソフトを組込む事すら非常に難しかった。(基本的にアップグレード等はROMを交換又は増設するしかない。)
この為、シャープ系PCの根強いファンが生まれたのも納得できる。(著者もその一人である。)
 他社ROM方式と比べてのクリーンコンピュータの欠点は、リセットすると再起動に非常に時間がかかる(CTからシステムプログラムを読込む為)のと、システムプログラムが大きくなるとその分ユーザーが自由に出来るRAM容量が減ってしまう事だった。
(もっとも、Z80系は64Kbyteまでしかメモリアクセス出来ないので、メモリ容量の点は大きな欠点とは言えないが。)

 このマシンを触るために、学校から帰ると友達とタマデンに通い、閉店近くまで居座った。

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シャープ MZ−2000
 MZ−80K2Eと同じくタマデンに展示されたマシン。
 このマシンも、オールインワン構造のクリーンコンピュータであった。
しかしカセットデッキ(2000ボーに増速)は電磁メカカセットデッキなので、人間様がLOADやSAVEの時にボタンを押し下げる必要は無くなった。また、アクセス時にテープが入ってないとデッキが自動的に開くようになっていた。
電源投入(起動)時のモニタプログラム(IPL)はもっと単純になり、カセットテープ(CT)が入っていれば自動的に読み込み、無ければCTを入れろとデッキがオープンになるだけであった。(CTがFDになればDOS/V機と同じかな?)
モニタも白黒モニタではなく、グリーンモニタで見やすかった。キーボードも現在のものに近いレイアウトにり、カーソルキーも横一列に並んだので少しは使いやすくなった。
スペック CPU:Z80A(4MHz) ROM:4Kbyte? RAM:64Kbyte TEXT:80x25 グラフィック:増設オプション(640x200x3画面(8色)) 表示色:2色(増設すれば8色)
 このマシンは実にシンプルでわかりやすい構造だった。拡張用のI/Oポート(VRAM増設時(16Kbyte単位で合計48Kbyteまで増設可能)に必要)も別売だった。
ちなみに展示のマシンにはVRAMは無かったのでテキストしか表示できなかった。
 BASICも単純だったがその分高速に動作し、フリーメモリも約43Kbyteもあった。

 自分はこのマシンが欲しくて欲しくてしょうがなかったが、貧乏な星の元に生まれてきたので、この時も今後も購入する機会は無かった。

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シャープ パソコンテレビX1(元祖)
 MZ−80K2EやMZ−2000と同じくタマデンに展示されたマシン。
 このマシンもクリーンコンピュータだったが、家電事業部から発売されたためデザインは本体,キーボード,モニタ別のセパレート型(デスクトップ型)で、ケースの色が三色(レッド、シルバー、ホワイト?)好きな色を選べた(様な記憶がある)。
本体には、電磁メカカセットデッキがあり、速度は2700ボーだった。
その名の通り、専用テレビモニタがあればTV画面のスーパーインポーズ(PC画面とTV画面との合成出力のみ)が出来た。また、テレビ表示の予約をIPL(BIOSみたいなもの)で出来た。
スペック CPU:Z80A(4MHz) ROM:4Kbyte? RAM:64Kbyte TEXT:80x25 グラフィック:増設オプション(640x200x3画面(8色)) 表示色:8色
 このマシンの特徴は、PCG(キャラクタグラフィック)とPSG?(MIDIのおもちゃみたいな物)が標準で実装されている事だった。
PCGがあることでVRAMが別売でもある程度のカラーグラフィック機能が使用出来た。
PSG?(略語の記憶があいまいでごめんなさい)は、当時単音(マシンによってはBEEP音のみ)が主流の中、3和音出力が可能で画期的であった。今のFM音源になれた耳では少々物足りないが、当時としては十分満足できるものであった。
 この様に徹底的に家庭用に向けてのスペックだったが、本体,キーボード,モニタ及びVRAMの合計実売価格が30万円近くはまだまだ高価だった。(それでも多機種と比べると低価格でコストパフォーマンスに優れていた。)
 BASICはハードが高機能な分、それをサポートしなければならない為に約40Kbyteの大容量になり、フリーメモリは約24Kbyte程度しかなかった。

 このマシンを同級生が購入し非常に羨ましかった。

 しばらくタマデンに他の2機種と展示してあったが、担当の人が他の店に転勤(左遷?)された為、行きづらくなり、その内にマシンは現品処分されてしまった。(数年後、店自体も他のチェーン店になり、その店もしばらく後に無くなってしまった。)

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中学生 〜 高校生 の頃
 この頃は、パソコンメーカーのシェアが概ね安定してくる頃だった。
NEC(PC-60,PC-88,PC-98系)、富士通(FM-7,FM-16β系)、SHARP(MZ-1500,MZ-2200,X1系)、MSXグループに判別できるようになってきた。
 この頃になると、日本語ワープロが流行り出したので漢字表示が出来るようなオプションが発売されるようになってきた。(PC-98は標準で漢字ROMと表示機能を持っていた。)
 この頃迄のパソコンを知っている人は、Windows95以降のシリーズが誰でも簡単に使用出来ると宣伝していても、それが
「まったくその通りだ。素晴らしい!!」
と思う人が多いと思います。それくらい貧弱なシステム環境だった。(このような事で比較してはいけないかな?)
 また、ポケットコンピュータ(ポケコン)も機能が豊富な高級機が販売されるようになってきた。

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MSX
 中学校に2〜3台程度が導入されたパソコン。(松下か三洋のどちらか(又は両方?)だったと思う。記憶が定かでなくごめんなさい。)
 各メーカーでバラバラだったパソコン仕様を統一する目的で販売された。
機能的には、PC-6001とX1をたして2で割ったような感じのマシンだった。
当時、SHARP系のマシンのファンだった自分にはあまり興味の無いマシンだった。この為、スペックは正確には記憶が無い。
 クラブ活動で理科部だった頃に、ちょっとだけ使用した程度だった。

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シャープ MZ−731
 ついに自分のパソコンを購入した第一号のマシン。中古で4万円で買った。購入時には、既に旧式マシンに属していた。
このマシンもクリーンコンピュータで、デザインは本体とキーボードが一体形式で型番によりカセットデッキと小型4色プロッタープリンターが取り付けられた。自分のはすべて揃っていた。
 モニタは普通のカラーテレビが使用できたが、家に有ったものはダイヤル(ガチャガチャ)方式のぼろいタイプしかなく置き場所も共用部屋だったので、後に秋葉原まで1万円の中古1000文字(320x200用)カラーモニタを購入した。(1時間以上かけて電車で運んだ。結構大変だった。)
スペック CPU:Z80A(約3.7MHz) ROM:4Kbyte? RAM:64Kbyte TEXT:40x25 グラフィック:無し 表示色:8色
 このマシンの特徴は、MZ−80K2Eシリーズのカラーバージョン(と言っても8色のTEXTのみ)であった。カラー化の為、TEXT関係が従来のシリーズと仕様が異なっていた。
 BASICは、従来のSHARP系(S−BASIC)の物とマイクロソフト系に近くX1と同じHu−BASIC(ハドソン製作)の2種類が添付された。
Hu−BASICはX1と同じ物だが、ハードウェアスペックがあまりにも違うため互換性の有るソフトは非常に少なかった。
 機能的には、SHARP系がシンプルでフリーメモリが多く、Hu−BASICは機能は豊富だがフリーメモリは少なかった。自分は、S−BASICをメインに使用した。

 このマシンで、だいぶBASICの勉強させてもらった。現在のWindowsに有るメモ帳よりも遥かに貧弱(比べるのも失礼?)なTEXT編集機能で、ポチポチとキーを叩いてプログラムを入力したものだ。
S−BASICはシンプルだったが改良されてきていて、コマンドで困るような事もほとんど無かった。

 アセンブラ(Z80機械語)を勉強するため、SHARP純正のアセンブラのシステムソフトを購入したが、テープベースで使用するには時間が余りにもかかり過ぎだった。(ちょっとのプログラムをコンパイルするにしても、システムのプログラムをCTから読み込み直さなけらばならない為。)
それでも、カセットデッキ(又は外部カセットデッキの入力端子)から、音声を読み込み録音するプログラムを作ったりした。(しかしメモリが少ないのと、自分のプログラムのメモリ使用効率が悪かった為、せいぜい1秒程度が限度だった。)

 このマシンを2〜3年くらい使用した頃に、簡易グラフィック(PCG:グラフィックキャラクタ)機能を実装するべく、CPUを取り外しPCG基盤を増設しようとしたが、半田付けのCPUを取り外す時に基盤のパターンを破壊してしまった為、永遠に動作しないパソコンになってしまった。合掌。

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富士通 FM−16β
 高校の電子技術科のメインマシン(クライアント用)として導入されていたパソコンだった。
 授業では、単体で使用する場合にはBASICを、ミニコン(同じく富士通製)のクライアント(端末)マシンとして使用する場合には主にFORTRANを授業で使用した。
 BASICでの授業では、それほどプログラムらしい物を作らなかったが、FORTRANでは、自己課題の授業でちょっとした物は作成した。
空気抵抗を考慮しない、0〜90度の放物線を描くプログラムだったが、結構大変だった。
なぜならばクライアントマシン側では、実行した結果をグラフィック表示できないならまだしも、TEXT画面表示ですら表示する機能が無いためである。結果はプリンタに打出すだけだった。
(ミニコン本体が1億円もした為、クライアント側実行画面表示用のソフトウェアが購入できなかったのが原因だったらしい。ちなみに、都の工業高校用の大規模?な施設を集めた中央センターみたいな所で授業を受けた事が有るが、ここのマシンではTEXTの実行画面がクライアント側で表示できた。)
 この為、実行の結果を一旦2次元配列の変数に記録して、プリンター(大型ラインドットプリンターだったので豪快に高速印字)で上の行からキャラクタを使用したドットを印字するようにプログラムを組まなければ為らなかった。(グラフィック機能があれば、このプログラムはそれほど難しくなかった。)
(尚、この時使用した計算式は、一部数学の得意な同級生に計算してもらった。自分はプログラムは作れたが数学(算数も)は大嫌いで苦手だった為。その同級生は逆で数学は良かったがプログラムは苦手だった。その他にもプリンタ表示部分でも先生に助けてもらった部分もあった。この場を借りて関係者にお礼申し上げます。)

 このような感じだった為、FM−16β自体のスペックは余り憶えていませし、今後も使用したいとは思いませんでした。(せっかく安く?入札して納品できたのに、ごめんなさいね。メーカーさん。)

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シャープ パソコンテレビ X1Ck
 2台目(代替?)として中古で購入したX1のマイナーバージョン。デザインが変更されて本体とキーボードが一体になり、VRAMと漢字ROMが標準装備になった。同時に漢字プリンタも購入した。
 最初は本体とMZ-731用の1000文字モニタのみで使用していた。このモニタは320x200までがサポートの範囲の旧式モニタ(電源ボタンはボリューム兼用の引っ張りツマミ型)だったので、640x200で表示の場合は画面がちょっとばかり読み辛かったが、我慢して使用した。
しかし、カセットベースでは遅く漢字機能も限定されるので、5インチFDD(2D(320Kbyte)の2ドライブ型)を購入した。
FDはCTに比べると比較にならないくらい格段に早かった。漢字機能も変換辞書をFDに置く事で能率が大幅に向上した。(現在のPC環境にだいぶ近づいてきた。)

 DISK BASICは、改良されていて、使用しないコマンドを読込まない様にしてフリーメモリを増やすような仕組みが取り入れられた。(それでも10Kbyteも増えなかったような気がした。)
ワープロやゲームに使う機会も増えていったが、一番多く?使用したのは競馬予想用にプログラムを作り出してからかもしれない。(単純な代物でしたが。)

 このマシンは旧式モニタや2Dの5インチFDDと共に現在でも、実家で稼動可能な状態で置いてあります。

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高校卒業後 〜 現在 の頃
 この頃は、PC−98国民機シリーズが絶頂期を迎え、そしてAT(AT100%互換,AX及びDOS/Vエミュレータ)互換機が発売されジワジワ浸透する時期だった。
この他に、X68やFMタウンズなどもがんばっていたが、結果的にシェアはあまり伸びなかった。

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EPSON PC−386BookL
 兵隊さんだった頃に購入した携帯可能なBOOKサイズのラップトップPC(ノート型)。当然PC−98国民機互換だった。モニタは液晶16階調モノクロ、2ドライブの3.5インチFDDとHDD及び2枚のLスロットが増設可能だった。
実家に帰る時は、たいてい専用ケースに入れて(結構重かったが)持ち帰った。この頃は、主にゲーム(シムシティや大戦略シリーズが流行った。)をするか簡易版の競馬予想プログラムを作る程度だった。
 後に、FM音源やらカラーモニタ、5インチFDD、ソフトウェア等を購入した為、本体を含め最終的に60万円程度をこのマシンに投資した。
スペック CPU:i386(16MHz) RAM:640Kbyte TEXT:80x25 グラフィック:640x400 表示色:4096色中16色 増設内蔵HDD:20MB
 最初の頃は2MBの増設メモリを使用していたが、後に8MBの製品にアップグレードした。また、コプロセッサーも増設した。

 除隊後しばらく後に、Quick BASICを使用して、競馬予想プログラムを作るようになった。さらに、データ入力や画面出力、ソート等のサブプログラムを本格的に作成した。
 しかし世の中は、急速にWindowsそしてDOS/V互換機の時代に突入していった。

 現在も、このマシンは動作可能な状態になっている。

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DOS/Vマシン 他
 新しい職場でも、N5200シリーズやPC-98、そしてダイナブックシリーズ(AT互換?)が混在するような環境になってきた。
Windwosは、あまり使用されなかったが一太郎や一太郎ダッシュ、ロータス123が標準になりつつあった。

 次の職場では、自社系列でもパソコンを作っているのにMACを多く導入した会社だった。この頃は、MAC用Excelやファイルメーカーが使われていたが、自分はパソコンはあまり使用しない部署だった。
しかし、工場で使う冶具としてDOS/V機は導入され始めていた。
 当時のi286やi386CPU搭載DOS/V機は、漢字表示処理速度がソフトウェアでの表示の為、国民機や漢字VRAM装備の8bitマシンよりもかなり遅かった。(現在のDOS/V機も当然ソフトウェア表示。)

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NEC PC−9801NV
 秋葉原で衝動買いしたノートPC。本体(中古)と2MB増設メモリ(中古)と携帯バック(新品)との合計で4万円以内だったような気がする。それぞれ別々の店で購入した。
購入当時は既にWindows3.1がメインOSになろうとしているのに、無謀にも時代遅れのV30搭載マシンを買ってしまった。
 ほとんど使用する事が無く、実家に放置してある。

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現在
 PC−98国民機シリーズが過去の遺物になり、AT(DOS/V)互換機がグローバルスタンダートとして日本でも標準機になった。(MACもがんばっているが。)
また、日本でも他国のようにメーカー製ではなくショップブランドのような自作形式の物が流行るようになってきた。

 現在の職場では、DOS/V機を製造する事になった。今までの経験から見た物理的な組立は、実に簡単に量産向けの構造だった。ケースの作りも非常に合理的だと思った。(特にデスクトップ型。)
しかし、一台一台カスタムで製造する事が多かったので、ソフトウェアのインストールは大変な事もあった。入社当時はWin3.1がメインだったのでDOSの知識が必要だった。自分はDOSの知識はあったが、DOS/Vのハードの事はあまり詳しくなかったので勉強する事が多かった。
 それから数ヶ月後、ついにWindows95の出荷が始まった。マスターHDDの作成がギリギリになったので、作るのはバタバタになった。このような状況だったので、後から色々な相性の問題が出てくるようになった。
Windows95が出た頃のDOS/Vのハードウェア仕様は細かいところで各社の仕様が異なった為、色々な不具合がハード/ソフト共に発生した。(現在のハードはそうでもないが、この当時に開発された本体やパーツを使用してアップグレードする時は、ある程度の知識が現在でも必要になる場合があります。)

 今では、職場の多くではDOS/V機(PC)無くしては仕事ができない状況になっています。便利?な世の中になりました。

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PackardBell PBシリーズ(DOS/V機)
 実はこのメーカーのマシンを3台持っている。

 その1台は、サンプルで会社が購入したi386仕様マシンだったが、倉庫の奥にしまわれて(忘れられて)いた。これを「捨てるから」と言われて、「じゃ、もらう」という事になった。
 さすがに捨てられてしまう様なマシンだった。まず、キャッシュメモリがメモリ不良でビット化けしてこれを使用できなかった(こんなのをサンプルで送るなー!!)。その為、動作がさらに遅くなった。
しかし、メモリを増設(計10MB程度)し約120MBのHDDにWindwos95を無理矢理インストールした。メチャクチャ遅いが一応動作には問題無い。(このマシンは小型ケースの為CD-ROMが入らないので、非常に時間が掛かったがシリアルポートからインターリンクを利用してインストールした。HDDの容量は本当にギリギリだったので、Win98は無理だろう。)
今では(今までも)、まったく使用しておらず放置してある。

 残りの2台は、業務移管で行きそこなったパーツを掻き集めた中古再生マシンである。そのため正式型番は無い。購入価格は、本体2台とモニタで約20万円だった。
購入後から増設したものを含むスペックは次の通り。
PB640サウザンドオーク 千葉電子カスタム(メインマシン)
ケースミドルタワー LPX 200W電源(AT)
M/BPB640 256Kbキャッシュ
CPUPentium 166MHz
メモリ128MB (8Mx32bit EDO 60ns 72pin 4本)
VGAオンボード CL-GD5440 2MB、PCIカード PowerVR(PCX-1) 4MB
SCSIPCIカード Fast SCSI-2 DC−390
LANISAカード 10Base-T
SOUND/
MODEM
ISAカード SB16互換/28.8Kbps FAX/MODEM
HDD1.2GB E-IDE 3台
CD-ROM4xATAPI CD-ROM 、4xSCSI PD
その他3.5”FDD、106キーボード、マウス
PB450 千葉電子カスタム(サブマシン:たまにしか使用しない)
ケースデスクトップ LPX 150W電源(AT)
M/BPB450 512Kbキャッシュ
CPUi486 DX4 100MHz
メモリ
36MB  (オンボード 4MB + 4Mx32bit FPM 70ns 72pin 2本)
VGAオンボード CL-GD5428 1MB
LANISAカード 10Base-T
SOUNDISAカード SB16互換
MODEMISAカード 28.8Kbps FAX/MODEM
HDD1.2GB E-IDE、1.6GB E-IDE
CD-ROM4xATAPI CD−ROM
その他3.5”FDD、106キーボード、マウス
共通周辺機器
17インチCRTカラーモニタ PB3020
モニタ切替機
128Kbps DSU内蔵TA MN128−SOHO−SL10
デジタルカメラ CAMEDIA C−900 ZOOM
ハンディースキャナー付 感熱紙FAX/コードレス電話
熱転写カラープリンター AP-700
 尚、千葉電子から業務移管後のパッカードベルの日本法人は、パッカードベルNECジャパンが運営していて98NXのカスタム品を主に販売しておりましたが解散してしまい、現在はNECのカスタマーサービスが修理等のみを担当している様です。
(ちなみに、パッカードベルNECジャパンは、最初の数ヶ月のみ千葉電子在庫のPB製マシンを販売していたが、それが終わるとNEC製のマシンを主力に販売していました。)
 また、アメリカの本社は、創業者のCEOが退任し、NECの資本が大幅に占めています。ちなみにその元CEOは、ASTの株を韓国系企業から買い、またもやPCなどを販売している様です。(99年6月現在)
パッカードベルPC関連 リンク
 PowerVRカードが4千円程度で販売していたため増設したが、シーラス様との速度のバランスが悪くあまり意味がない様な気がする。(3Dのデモは速いのだが、2Dは・・・。)
サウンドモデムカードに使用のAZT2320のドライバーがWDM仕様になると、今のマシン環境ではHDDアクセス時に音が飛んでしまう事があるので、サウンドは少々聴き辛い事もある。
 すでに時代遅れになりつつあるスペックではあるが、当分の間、このマシンを使用して行きたいと思います。

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作者のポケコン使用経歴

 ポケットコンピュータ(ポケコン)も色々と使用した。
数千円で衝動買いした製品から、32Kbyteメモリ標準装備の製品まで、6種類ぐらい購入したのではないだろうか。
 高校の時に授業で使用する為に購入したのは、カシオの製品だった。しかし、酷使したのですぐに壊れて(外観のみで一応は動作した)しまい、後継用に自費でシャープの製品を購入した。又、授業以外の目的でも安いものから高級機まで数種類を購入した。
 高校卒業後も、競馬予想用として大容量メモリ(といっても増設して64Kbyte程度の物)の製品を購入した。これもシャープの製品で、4行ぐらいの表示範囲があり、なかなか重宝した。
 しかし何れも、酷使して破損したり、使用せずにほったらかして放置していた為に電池の液漏れが発生し、使用不可能な状態になってしまった。管理が悪くてごめんなさい。
この為、現在は稼動可能なポケコンは一台もありません。合掌。
(現在、稼動可能なペン入力電子手帳と電子カタカナ住所録があるが、これらもヤバそう?)


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(C) 1998-1999 Shimanet