映画
シン・レッド・ライン
[ THE THIN RED LINE ]
の感想


感想登場する日本軍ガダルカナル戦参考資料

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開設 1999年05月03日 更新 1999年05月03日


ほんのちょびっと熱帯地方風の八八式7高(靖国神社にて)
「桜」特集 -2000-


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感想

 まずは、(超)簡単なあらすじからご紹介しますと、

 「太平洋戦争の最初の攻防地であるガダルカナル島へ、日本軍の進撃を食い止めるべく派遣されたアメリカ陸軍兵士達の、最前線における戦いの中での心境を描いた物語。」

 です。で、この映画を見た私の感想を(超)簡単に一言で申しますと、

 「ウィット二等兵とベル二等兵の区別がつかなくなった。」

 です。これはただ単に、私が外人の顔の区別を付け辛かっただけなのかもしれないのですが、この二人以外でも登場人物の判別が難しくて、後で映画パンフレットのキャストプロフィールを読んで「あら、そう云う事だったのね。」と、納得した次第であります。
 まあ、この話は個人自体の判別が出来なくとも、その場面の登場人物が何を考え行動しているかが判れば、話の筋が見えて来るので問題無いと言えば問題無いのですが・・・。

 さてさて、おとぼけ?は是位にして、いよいよ本題に入ります。


 この物語に出てくる登場人物を通して、それぞれの状況に応じての生死観念や道徳観念を巧みに表現していて、これが非常にうまく演じられている。
 相手を殺すという良心との葛藤などもあるが、自分が死んだ時の「死」に対する恐怖や、味方に犠牲を出さない様にする為の葛藤などが、メインとして扱われている。
 非常に忠実に再現された戦闘シーンでの緊張感が、この心の葛藤をリアルに表現する演出に効果的に機能している。
 この戦場と云う生と死が交錯する恐怖と狂気の極限の状況下で、自分が自分として維持して行けるかを問いかける、素晴らしい作品に仕上がっていると思いました。

 そしてウィット二等兵は、最後の最後に日本兵士達に囲まれ、究極の選択を迫られます。


 この物語の戦闘シーンの再現性は、今までに観てきた映画の中でも優秀な部類に入ると思う。特に日本軍の機関銃掩蔽壕(トーチカ)の在る高地襲撃のシーンは、私事で恐縮ですが陸上自衛隊にいた頃の富士の裾野の演習場での出来事を思い起こさせる程でした。
(因みに一番凄いと思った映画の戦闘シーンは、「スターリングラード」のドイツ歩兵懲罰部隊によるソ連戦車部隊との対戦車戦闘シーンで、「あー、自衛隊辞めて良かった。平和が何より一番!!。」と思わせる程の出来でした。)

 尚、この映画の戦闘シーンは、リアルな上に戦死傷者も続出しますが、メチャクチャでキワドくエグイ様なシーンは控えめに撮影されているので、残酷なシーンの有る戦争映画を敬遠しがちな方も大丈夫かもしれません。
(「見たけど、やっぱり不快な気分になった。」と言う方がおりましたなら、ごめんなさい。)


 と、ここまでは一般的な常識の範囲内?での感想を述べましたが、私個人として、太平洋戦争中の日本軍の事を普通の人より少しは調べていると自称している常識の範囲?からの感想を、これから述べていきたいと思います。


 「レッド・ラインではなく、イエロー・ラインではないか?。」

 確かにこの映画では、戦場の極限状況下の心理を巧みに表現しているが、まだまだ戦争に勝っている立場からの描写のみをしていると思う。

 当時の日本軍は危機的な末期状態に陥っても降伏する事を許されなかった為に、味方から孤立し補給の途絶えた地区では更に悲惨な状況下に追い込まれている。
 このガダルカナル島などのニューギニア・ソロモン方面でもそうだが、ビルマ/インド国境のインパール地方やレイテ・ルソン島等のフィリピン地区などの、敵の追撃が烈しい上に現地住民の協力も得られず食料の自給自足が困難だった戦場では、極端な食糧不足の飢餓状態になり想像を絶するような人間の極限状況になってしまった様だ。
 他人の所持する食料を盗むなどのレベルではなく、味方の他の部隊の糧秣倉庫や糧食運搬中の輜重部隊を襲撃(状況によっては相手を殺害までしてしまった様だ)して食料を奪うなどの段階をも通り越し、餓死した僚友の屍肉をも食べてしまったり、更には生きている味方の人間を襲って殺しその生肉をも食べてしまうと云う人肉食にまで発展してしまった事もあった様だ。

 一見すると豊かな大自然に見える熱帯雨林のジャングルだが、一歩踏み入れると人間にとっての食料は少なく逆に害虫や疫病などが蔓延する過酷な自然環境の中で、敵の圧倒的戦力の前に増援はおろか補給すらも望めず、もはや何の為に戦争をしているかなどの思考能力すら無くなり、ただただ生き延びる為の手段のみを追求するだけの存在に為ってしまうかもしれないと云う、壮絶で悲惨な真の意味での極限状況に肉体的にも精神的にも追い込まれて、心の葛藤に苦しんだ人々が大勢いたと云う事を忘れてしまう訳にはいかない。
 しかもこれらの日本兵士達は、映画の中の米兵士達はもちろん、現代に生きる我々とも何ら変わらない同じ人間であり人なのである。

 尚、この様な飢餓の極限状況下に置かれても、狂気の世界の一員になったのはごく僅かであり、生き残ったほとんどの人々が自分を自分として維持でき日本本土に復員できた事を、当然ではあるが付け加えておかねば為らない。

 以上の様な観点から考えてしまうと、どうしても何かが物足りないような映画になってしまった。これは前評判に対する物足りなさも含まれてしまうのですが・・・。


 しかし、最後のウィット二等兵の心境を考えると、「シン・レッド・ライン」が正しいのかな。

 まあ、しかしながら、大自然の中で繰り広げられる戦闘シーンの緊張感の演出は非常に素晴らしいものが有るので、観る価値の有る映画だと思います。



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登場する日本軍

 実はこの映画を見に行きたいと思った理由は、壮絶なガダルカナルでの戦いを主題にしているとの事なので、

「日本海軍の戦艦による艦砲射撃で、米地上軍がコテンパにやられるの図。」

が、必ずや再現されるのではないか?と云う、誠に不謹慎極まりない動機にて思い付いたものであります。
 だが実際の映画には、このシーンは全く有りませんでした・・・。
 しかし、かわりに米軍飛行場に対する日本陸軍の野戦重砲隊と思われるゲリラ的砲撃シーン(米軍通称:ピストルピート)がほんの数秒だけ有りました。
(もしかしたら巡洋艦か駆逐艦の艦砲射撃(トーキョー・エキスプレス)かも?)

※ 野戦重砲:十加(九二式十糎加農)もしくは十五榴(九六式十五糎榴弾砲)などの大型火砲。十五榴はガダルカナル島撤退時までも最後の一門が生き残り、1日5発程度ながら散発的な砲撃を加え続け、敵部隊を擾乱させた。


重機分隊が大活躍!!

 登場する日本陸軍部隊の兵器で最も目を引いたのは、重機(九二式重機関銃)だった。掩蔽壕(トーチカ)や掩体(タコツボ)からの射撃はもちろん、銃と三脚を組立てた状態の56kgもの重機を数人で手搬送(搬走)する勇姿は、なかなかのものでした。
 そして30発保弾板を使用するこの重機の特徴ある射撃音、

「ドッドッドッドッ」

も、見事に再現されています。

 この映画の構成は米軍側から見ているので、この重機は敵側からもそれなりに評価されていると云う事でしょうか。「ドッドッドッ・・・」の射撃音は発射速度 が遅い為でこれを米軍は「ウッドペーカー(きつつき)」と言って笑ったが、その反面、命中率は正確だった為にこれを非常に恐れていたとも伝えられています。

 掩蔽壕(トーチカ又はバンカー)のある高地では、この重機と共に活躍したのが軽機(九九式軽機関銃又は九六式軽機関銃)です。映画に出てくる射撃音は「ダダダダ・・・」の音の方が多い位で、重機よりも活躍しているかもしれません。

 そして、基本中の基本でありお約束?である銃剣を着剣した歩兵銃(三八式歩兵銃又は九九式歩兵銃)も登場して活躍します。日本軍の機関銃掩蔽壕に肉薄する米陸軍歩兵分隊に対し、守備歩兵達が銃剣突撃を繰り返し反撃します。

 この他に射撃場面などは無いが、重火器として山砲や迫撃砲及び高射機関砲などの他に通信機器等もチラッと登場しています。又、弾薬箱等の小物も忠実に再現している様です。

 この映画の中で日本軍は追撃してくる米軍に対し、予想外の阻止砲撃をしますが、意外な事に一番活躍していたと思われる、重擲弾筒が見当りませんでした。又、日本軍側の手榴弾攻撃場面も無かった様な気がしました。これらは単に場面の切換りが早くて気付かなかっただけかもしれません。


 おまけとして米軍側で登場した兵器としては、M1ガランド半自動小銃、M1カービン銃、短機関銃、拳銃、手榴弾及び携帯火炎放射器などの他にBAR(ブローニング自動小銃)なども登場していた様だが、画面の切換りが早いので細かい所は確認できませんでした。
 又、上陸用艦艇や哨戒艇、陸海軍の戦闘機等、輸送用の軽車両等、重火器としてはツルベ撃ちする105ミリ榴弾砲(155ミリ?)が登場しています。しかし軽戦車などは登場しませんでした。


 いずれにしても映画館で一回しか見ていないので、戦闘場面の切換りが早かった為と、登場すると思われる兵器について調べて置かなかった上に米軍兵器には疎い為に、あまり正確ではありませんのでご了承下さい。


 しかし、なぜ銃剣突撃してくる日本歩兵に対しては米軍歩兵の銃がすぐ命中し倒してしまうのに、日本軍野営陣地に突入する米軍歩兵には日本歩兵の銃(それも三八様のみならず重機まで)がなかなか命中しないのは何故なんだー!?。


※ 発射速度について

 この場合の発射速度とは、銃が一分間に発射できる弾の数の事です。各国の平均的機銃は500〜600発程度。中には800〜1200発に達する機銃もある。しかし日本軍は命中精度を高める為に概ね250発程度の発射速度で使用した。因みに九二式重機も発射速度を最大450発に設定する事もできた。

 鉄砲の反動は一発の射撃でもかなりの反動があります。それを機関銃は連続で射撃しますので、反動で動いた銃身が狙っている所まで戻る前に次の弾を発射してしまう事になると、当然ですが狙っていない所に弾が飛んで行きます。これを防ぐには反動を小さくするか発射速度を下げるしかありません。尚、現実の射撃では銃を保持する持ち方や姿勢なども重要な要素になります。

 発射速度を遅くした理由としてもう一つ考えられる事は、日本軍の野戦での機関銃運用方法が、多弾数をばら撒く制圧射撃や阻止射撃ではなく、精密な狙撃にあった為です。これは無駄な発射弾数を減らし弾薬消費量を押さえる為でもあります。

 余談になりますが同様な理由で、小銃も手動式の銃を使用し続け、半自動や全自動の小銃は配備される事は極一部を除きありませんでした。もし敵側が半自動小銃を装備した時の対抗の為に、日本陸軍が半自動小銃を装備した場合の研究として試算した手動装填銃と半自動装填銃の一回戦の弾薬使用量の比較は、120発対180発でした。これは、小銃の弾薬消費量が現行より50%も増加すると云う事なので、当時の日本の国力では到底不可能と考えられました。しかし、歩兵分隊に配備する軽機関銃及び擲弾筒装備を拡充すれば十分に対抗可能と判断された様です。



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ガダルカナル戦

 ガダルカナル戦は日本陸軍とアメリカ海兵隊及び陸軍が大規模な戦闘をした最初の攻防地です。

 このソロモン諸島のガダルカナル島は、原住民約1万人程度が島内各地に分散して居住する、全く開発が進んで無かった島で、日米両軍とも現地の正確な地図が無い様な状態で戦闘に突入しました。

 この戦いはアメリカ軍にとっても、反撃体勢が完全に整ってなかった為に苦しい戦いになった様です。
 又、日本陸軍としてもこの地域の戦闘の準備を全く考慮してなかった為に、泥縄的な戦いになってしまいました。(この地域は日本海軍が単独で侵攻していた。)
 この為、この島の戦闘の勝敗はどちらの側にもチャンスが有ったのですが、日本側が自らの不手際により惨敗になりました。

 以下にガダルカナル戦の様相を記述します。

[ 詳細は<ガダルカナル戦の経緯>をご覧下さい。]

日 時 日 本 軍ア メ リ カ 軍
1942/
5月
上旬
 海軍がツラギ地区に上陸して占領する。 
6月
中旬
 ツラギの南対岸のガダルカナル島に、ルンガ飛行場の建設を開始する。 
8月
上旬
 ツラギとガダルカナルに敵が上陸する。
 ツラギ(守備隊約7百名)は玉砕し、ルンガ飛行場(守備隊約3百名+設営隊約2千5百名)は敵に奪われてしまう。
 ツラギ地区攻略を敢行する。
 ツラギ(兵員約6千名)とガダルカナル島(兵員約1万1千名)に上陸し、敵を駆逐し占領する。
8月
中旬
 陸軍の一木支隊約1千人が上陸し、ルンガ飛行場の敵を攻撃するが惨敗する。 敵の上陸部隊を短時間で撃退する。
 この頃からヘンダーソン飛行場の使用を開始し、日本軍を空襲する様になる。
9月
中旬
 続いて川口支隊約5千人が上陸してルンガ飛行場を総攻撃するが、あと1歩の所で押し返されてしまい失敗する。 一時ヘンダーソン飛行場に侵入されるが、弾が無くなる寸前まで砲撃し続けて敵を撃退する。
 この後、増援部隊などが上陸して戦力を回復する。
10月
下旬
 第2師団約1万5千人が上陸して残存の川口支隊と共に総攻撃を敢行するが、大損害を出して敗退する。 敵の大部隊の攻撃を難なく撃退する。
11月
中旬
 第38師団約7千名の人員と装備などを上陸させようとするが、11隻の輸送船の全てが撃沈破され人員約5千名のみが辛うじて上陸できた。
 しかし部隊の装備のほとんどを失った為に、ルンガ飛行場奪回は断念せざるを得なくなる。
 余裕が出来てきた守備隊は、上陸してきた日本軍を積極的に攻撃して、追い詰めて行く様になる。
12月
下旬
 増援も補給も困難な為に、食料が極端に減って飢餓状態になり、とても戦闘が出来る状態ではなくなった為に、遂にガダルカナル島撤退が決定される。 最初に上陸した兵員達の交代が始まる。
1943/
2月
上旬
 ガダルカナル島から撤退が完了する。 敵を退散させる。


戦闘による犠牲者数

項 目日 本 軍ア メ リ カ 軍
作戦参加総兵力約33,600名延べ約7万名
死者約19,200名
(戦死  約8,200名)
(病死 約11,000名)
約1,600名
負傷者不明約4,700名

※ 延べ数は兵員が途中で交代している為
※ 戦死:戦闘による負傷が原因で死亡した人
※ 病死:マラリア等の疾病や飢餓による栄養失調などが原因で死亡した人

尚、輸送途中の戦死傷者及び艦艇や航空機の戦死傷者などは含まれていません。

[ 詳細は<ガダルカナル戦の経緯>をご覧下さい。]



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参考資料

 このページを作成するに当り、以下の資料を主に参考とさせて頂きました。
★THE THIN RED LINE(映画パンフレット) 松竹株式会社 編/刊
 この他にも、<戦闘装備 参考資料>に記載している資料からも一部を参考とさせて頂きました。



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